八丈島の歩き方
八丈島の玉石垣、なぜ海から3里運んだのか。陣屋跡を歩いて、流人の労働の重さを想像した

文化2026年5月26日

八丈島の玉石垣、なぜ海から3里運んだのか。陣屋跡を歩いて、流人の労働の重さを想像した

横間ヶ浦から12km。1個30kgの楕円の石を、ロープで縛って人力で運んだ。八丈島陣屋跡に残る玉石垣500年の話と、石を組める職人がいなくなりつつある現状。

僕

ホテル運営者・編集長 / 2026年5月26日

大賀郷の集落を歩いていると、住宅の塀がやけに変わっていることに気づきます。直方体の積み石ではなくて、楕円形の丸い石を、パズルのように組み合わせてできた塀。これが八丈島名物の「玉石垣」です。

八丈島陣屋跡(現在の八丈町役場あたり)を中心に、大賀郷・三根地区に集中して残っています。八丈島ふるさと村の周辺には、観光向けに整備された美しい一画があり、写真で見たことのある人も多いと思います。

石は、海から運ばれた

玉石垣に使われている石は、すべて八丈島の海岸で拾われたものです。代表的な産地は、島の南東側にある横間ヶ浦。波で角が取れて丸くなった石が、無数に転がっている海岸です。

玉石垣を築くために、海岸からこの石を運び上げる必要があった。場所によっては陣屋跡まで3里(約12km)あります。重さも1個20〜30kg級が珍しくない。それを車もブルドーザーもない時代に、ロープで縛って人力で運んだわけです。

運ばせたのは誰か、という話になると、史料は二系統に分かれます。一つは、流人の労役として運ばせたという説。もう一つは、島民が津波対策・防風対策として自発的に築いた説。近藤富蔵『八丈実記』にも記述があり、おそらく両方とも事実で、時期によって主体が違ったと考えるのが自然そうです。

積み方そのものが工芸

面白いのは、玉石垣が「ただ積んだだけ」では絶対に成立しない構造であることです。丸い石は本来、安定して積めません。それでも数百年崩れずに残っているのは、石どうしの噛み合わせを職人が見抜いて、隙間を小石で詰めて、全体として一つの巨大なパズルを完成させているからです。

地元の方に「これ、どうやって積むんですか」と聞いたら、「もう積める人、いないよ」と言われました。修復が必要になったとき、石を組める職人が島内にほとんど残っていない、と。文化財としての保護はされていますが、技術の継承は、たぶん時間との戦いです。

歩くなら午前の早い時間

玉石垣を見るなら、大賀郷の集落を午前の早い時間に歩くのがおすすめです。日が低いと、玉石の影が地面に楕円形に伸びて、これがたまらなく良い。観光地化されていないので、ただの住宅地ですが、散歩感覚で歩いて、ふと足が止まる、というのが正解の出会い方だと思います。

大賀郷の役場側から、ふるさと村に抜けるルートが個人的にはベストです。徒歩30分、玉石垣のサンプル数は数百個。文字どおり、500年分の風景を散歩している感覚になります。

Related Stories

ほかの記事も

一覧へ →